上越市吉川区善徳寺さん
10月18日(日)、妻の友人の紹介で
上越市吉川区善徳寺さんの経堂を見せて頂きました。
庭の苔も手入れされ、素敵な空間でした。
真宗大谷派横田山善徳寺さんの歴史について。
住職の横田家初代である源八さんは、
甲州武田信玄の家臣であったが、兄弟3人で越後に来て
越後国三島郡苅羽之荘折居村(現新潟県柏崎市折居)で
仮住まいを経たのち1560年頃に国田に到り、
善徳寺(真言宗高野山の末流で春日山上杉家の祈願所であった。
上杉景勝の会津移封に従い移転した。)の許しを得て現在地に
居を構えたと「横田家代々申し送りの文」等に記されている。
言い伝えでは長兄は現在の柏崎市阿相島に、
次兄は吉川区川谷に、末弟の源八が国田に土着したとのことである。
源八は国田に来たときにはすでに本願寺八代蓮如上人の名号を
持っていたと伝えられているが、浄土真宗に改宗の休善に
深く教化を受けたものと思われる。
休善は1598年に上杉移封に伴って善徳寺が移転した後、
1606年に現境内地に道場を建て、源八と浄土真宗としての
善徳寺再興を誓い合ったと伝えられている。
横田家は次第に地主として財力を蓄え、七代目惣兵衛の二男重蔵が
上越市三和区本郷の西勝寺の弟子(法名利観)となり
1773年に横田家の屋敷内に道場草庵(現在の本堂)を開いた。
利観死亡後は、惣兵衛が剃髪、善照と改名し道場に入り、
1780年に東本願寺から寺号を得て善徳寺を創建した。
こちらの経堂は、平成27年8月4日に登録有形文化財に指定される。
そこに施されている彫刻などを見せて頂きました。
繊細なタッチで造られた龍の彫り物は、芸術品です。
今、この経堂は、修復作業中で屋根の銅版も張り替えられるそうです。
他にも天井絵などを見せていただき、
有意義な美術鑑賞となりました。
近くの登録有形文化財を見た事があるなら、
ポチっとして頂けるとありがたいです。
<(_ _)>→人気blogランキングへ